20190810
ロッキンに行く、二日間も。
土曜日の夜明け前に車で出た。常磐道で迎えた朝焼けはまっすぐ正面で、車内には真心ブラザーズのサマーヌードが流れたりしてた。
水戸に住む友人と合流し、水戸駅からシャトルバスに乗って会場に向かった。
友人には「最近、父が亡くなった」って数日前に聞かされてて、どうしようかと思って少し真面目にしたけど、彼も僕も相変わらずとんちんかんで、結局しょうもない言語にすらなってないような会話を主にした。
無理してんのかなって思ったけど、彼はそうゆうの超越してる感じもする。そんな馬鹿な。
フェスの楽しみかたは年を重ねて少し変わった。
寝たり、諦めたり、酒を飲み続けたり。ゆっくりだ。
帰ってからあまり深酒をしないで寝たのは初めてかもしれない。僕らどこに行くのかね。
20190807
今年もひたちなかに行く。二日間も。
年々暑くなっている気がして、特に去年は暑くて、今年は大丈夫かな。
台風も来てる。
台風だの雨が降らないだのそんな地球の表面で起こることも征することが出来ないのに宇宙だ領土だ人種だ思想だなんだって。
いや、自然を征する必要は僕はないと思うけど、そんなことも出来やしないのに人間は偉そうだな。
人間は偉そうだ。僕も人間だけれど。
例年、ロッキンにはすかした態度で望む。
ビールが飲めればいいやとか、これだけ見られればいいやとか。緩く緩く。
でも、なんか知らずに楽しくなっちゃったり、あれま、予定と違うなとか、よくある。
今年も、サークルモッシュの中心で音頭を取る「中身空っぽだから空っぽ埋めたくて必死な雑魚カス人間」にイライラしないで過ごしたい。
あと、明日の天気も操れず、ただ待つだけの癖に人間は偉そう。もっと身近に生きようよ。息苦しい昨今、時代?
20190804
ハラリと涼しい風が吹く、日中馬鹿に暑くても扇風機があればなんとかなってる。
午前中、車のドアの隅っこが少し錆びたから補修した。初年度登録平成16年のマニュアル車。そろそろお別れかな。嫌だな。不便だけどかわいいんだよな。東京に戻ってから全然乗ってないや。ごめんね。
車と同じ色したタッチペンで補修後、なんとなく自転車に猫を描いた。なんとなく。
お昼を食べた後で、録画してあった「この世界の片隅に」を見た。
生活の尊さ、生きること、普通であること、普通であることの尊さ、不変的な人のそれ。
見てるとさ、笑ってしまうんだ、泣いてしまうし、笑ってしまう。それは自然に。
でも、笑ってしまうことのほうが少しばかり多いのは希望だな。強さかな。違うと思う。少なくとも一人の強さじゃない。
笑ったり、怒ったり、泣いたり、
ってここまで書いてたらスピッツの夢追い虫が流れた。一人で納得いってるよ。
一人で納得したから終わりだ。
「命短しちっぽけな虫です うれしくて悲しくて 君と踊る」
20190729
梅雨の間はたまに寒いことがあって、それは梅雨寒と言って、僕はその梅雨寒に備えてガスストーブをしまっていないけどもう絶対にしまってもいいな。
もう、平成が終わったことなんてみんな忘れて、レイワが進む。古き良き平成と平成のドロッとした暗い澱のバランスはずいぶん悪くて、なんか暗いニュースばかりが目につくな。
嘘かほんとかを置いてきぼりに情報が傾いて、それを追うように徐々に人々が傾き出す。それってこわいな。何の事をいっている訳じゃないし。特に意味はない。
僕は今朝、当たり前の正論を前にして、退っ引きならない気持ちを持ちながらも、わかりあえないと思って、「もういいです」って気持ちになって蓋をした、自分の考えとか、名前も知らない誰かの考えとかに蓋をした。
でも、重ねて正論を今言うのであれは、「蓋をしなければ生きていけない」
生きていけないのならしょうがない、蓋をするべきだ、生きてればまた会える(かもしれない)から
そうやって折り合いをつけてみる。
20190429
皆さん、こんばんは、こんにちは、おやすみなさいのおはようございます。
槍でも降ればいいよ、げさおです。
口に出したことの9割を実行しないまま平成が終わります。ここ最近は相変わらずたこ焼きしながら肝臓にムチを打っていますがおおむね低空低速停滞の通常運転です。
暗いので本題。
■エンドオブザ平成■
使いまわされたお題目なんだけど、平成が終わります。
次は令和、れいわの変換が出ないこのスマホはもうあと少しで旧世代の遺物です。
思えば僕がスマホってやつを手にしたのは大学三年ぐらいだった。周りはどんどんスマートなっていった記憶があるので多分切り替えは遅い方だ。変化を嫌う傾向のある僕は頑張ってガラケー、今でも覚えているけどSO903iTVを愛用していた。使い勝手は悪かったけれどキーがバキバキに割れるまで使ったそいつはショートカットキーで画面を見ないで大体の事が出来るぐらい傍にいた。
銀杏BOYZのBBSを主に表示していた。
(何も考えないで書いている、とりとめのないおちもなにもない話だよ)
スマホにかえたとき画面を見ないと慣れても操作できない点は絶望したね。
高校時代くだらないやりとりを友達のいない学校で机の下で画面をほぼ見ないでやっていたのになんてこった、そう思った。でも、もうそんなスキルも必要ないけどね。
スマホに変えてもゲームとかしないし、Webの読み物が読みやすくなったぐらいしか利便性は感じなかったな、今はTwitterと音楽気軽に聴けるぐらいのメリット。
うん、音楽の聴き方も変わったな、古くはMDプレイヤー、SONYの水色のやつ。タイトルつけたり、順番考えたり、ラベル貼ったり、いとおしい煩雑さ。
その次に買ったのはMP3、MDからの過渡期で各社色々出てる中で僕は東芝のギガビート(30GB)を持ってた。ちなみに当時から持っている人を見たことがない。カエラちゃんがCMしてた。フラッシュメモリーじゃなくてHDDを回す硬派さに惹かれたな。
電源を入れたときにハードディスクが回る音にドキドキするの。ホワイトノイズが強かった。でも、それの画面が割れて再起不能になったからSONYのWALKMAN、多分今三代目だけどタッチパネルはだめだね。
何を書いているのかな、頭が回らないや。
色んな事や物が変わっていくね。
令和になってもならなくても。
変わらないものは有るかな。
有るよね、自分とかあなたとか。
巡り行くこの世界で僕らが出会えたり笑ったり泣いたりしたことに、
時代の変わり目だからとかそんなたいそうなことじゃなくて意味を付けてあげられたらこれほど素敵な事はないよね。
(急にメロウに感傷とポエムが混じったので終わり)
就活とげさお。
そろそろ始まろうとする終活の話。
ではなくて就活活動、リクルートの話。
現在僕は新卒で入った会社にだらだらと五、六年いる。
たまたまご縁があって入社したそこそこの王手企業。
僕だけ採用が遅すぎて内定式には出ていない、馬鹿みたい。
■就活生■
僕が就活活動をしていた当時の状況は超氷河期または氷河期らしい。(Wikipedia調べ)
確かに、もう何やっても駄目感が凄かった。
当人の冴えなさとスキルの無さ、馬鹿大学ってことも助けて面接にすらたどり着かないというエクストリームな状況だ。
内定のない地元の友人と夜の公園で飲みながらエントリーシートを書くというエクストリームな手法で対抗したが全く成果はなかった。
唯一行きたいと思っていた系統の会社は最終面接まで進み落とされた。
とてもきれいな不採用通知は今でも覚えている。
周りにはお祈りと呼ばれる不採用通知やNNT(無い内定)とか言いながらざわざわして、ナーバスになり、落ち込み、悲観する連中が多かったが、もうやりたいこともなければ、やれることもないと思う僕は完全に居直っていた。
夜の公園での飲酒は続き、だらだらとバイトをして、だらだらとバンドを続けた。
音楽を続けるつもりは全く無かったし、バイトもやめようと思っていた。
今思えば狂気だ。毎日よく寝た。不真面目なのだ。
しかし、あのどうにでもなれ感は不思議と居心地がよかった、美化した思い出ではなく、楽しかった。
春頃になるといよいよ悲壮感とか焦燥感とかが周りに溢れるが、僕は相変わらず就活を続けながらももうめんどくさくなって面接に行かなかったり、行ったりを繰り返していた。
主に面接をサボって喫茶店で本とか読んでた。実に失礼な話だが、どこもちっとも働きたく無かったし、興味もなくなっていた。
それでもこねくりまわし、興味のあるふりをして、研究をしてきているふりをして、やりがいとかなんとか言って面接を受けた。
そして思った。「そもそもやりがいってなんだ?馬鹿なのか?そもそも全部やらなくていいならやりたくねーんだよ」と。そして悟った「あるのは向き不向きを考慮して、出来ることを選ぶだけ」と
就職浪人をするつもりもなかったのでやけくそになって面接を受けた。そして今に至る訳だ。(雑)
思ってもみない業界で何やってんだかわかんない日常だけど。
リクルーターとかやらされるとお行儀の良い、意識の高い学生さん達が僕より色んなことを勉強して説明会に来る。そして、やりたいことを語る。
やりたいことを仕事に出来るなんて凄いことだ、どんどん実現して欲しい、
僕は絶対にやりたくない事を掲げる、そして旗にして振る、
その代償に誰かがやりたくない事を僕がやる。だから、後は頼んだ。