ブログとげさお。

始めてみたけど、下書きも、ネタのストックも、ロクな話題もないので

まず、文章を書くことについてごにょごにょ。

 

(途中まで書いて面白くなくて心折れて半分以上消した、リハビリ)

 

さて、僕は慣れない「はてななんとか」って所で、スマホのアプリから、これを書いている。時は2018年も終わりが見える中で僕はここにいる。

振り返ればこんな場所は過去いくつかあったな。そんな、恥ずかしい、酸っぱくてしょっぱくて、酢だこさん太郎みたいな話。

 

前略プロフィール

このワードを見ただけで、白目を剥くような、具合が悪くなるような、そんなブラックヒストリーが甦る人も多いのではないだろうか。

僕はそうである。

(無事、2016年に全てが消えました。おめでとう。さみしいね。)

 

流行は中学生終わりから高校生ぐらいだったと思う。

新勢力のmixiに押されていながらも当時の前略プロフィールは勢いがあった。

 

プロフィールページに個別の掲示板がある。デフォルトの機能はそれだけの単純なサービス。(曖昧)

しかしその醍醐味はプロフィールのリンク欄に個別作成したリアルタイム(一人Twitterみたいなもの)だとかブログを結びつけて見てもらう。それを見るというものだった。(曖昧)

 

リア充達(死語?)が「○○に行った!」「○○マヂウケるワラ」とか書いてるのを尻目に、

僕はその前略プロフィールのブログとかリアルタイムにダルいとか、帰りたいとかを主成分に、大槻ケンヂの本の感想だとか、銀杏BOYZの素晴らしさだとか、買ったCDとか、今日は一言も喋ってないとか、ポエムだとか、ポエムだとかポエムだとかを書いていた。

 

そして、気になるクラスメート(女の子)をネットストーキングしていた。暗いってもんじゃない。

 

■高校時代■

学力は中堅上位、学校行事が盛ん、校風は自由、制服さえ着てくれば良い、そんな何とも中途半端な都立高校に入学した。

 

滑り出しはそこそこだったが二年生のクラス替えを機にバッチリクラスに馴染めなくって主に机に伏せて寝ているか、本を読んでいるような人になった。(今思えば笑う。もうちょっと素直になればよかった。)

 

友人はいたが、皆ある程度拗らせ、斜に構え、サッカー部辺りの連中を理由もなく恨んでいた。しょうもない。

しかし、僕もその一員だった。

何と戦っていたのかさっぱりわからないけど。

 

当時、僕は書いていることなんて誰も見ていなくても構わないと思ってた。

でも、とても少ないアクセス数でも毎日定期的にあるのが嬉しかったし、誰がみていたかなんてちっともわからなかったけどなんとなく僕は救われていた。

(全く進歩がないことに今、僕にとってこのTwitterは同じような存在かもしれない。)

 

誰かもわからない観覧者にドキドキしながらも、コメントもいいねもないそんな世界は続いた。

 

ある日僕はRCサクセションの素晴らしさについて書いた。

そして、文末には僕の妄想を垂れ流しとして

[放送部、お昼の音楽の最後に「さて、最後の曲はRCサクセションで…(2秒ためる)…トランジスタ・ラジオ」って言ったら最高だな。]

と結んだ。

 

数日後のある日、お昼休み、その日は話す人が完全におらず、昼食を食べて突っ伏して寝ていた。

 

「ふふ、え、あ、では今日の最後の曲は……(3.5秒ためる)RCサクセショントランジスタ・ラジオ…」

 

空耳かと思ったけど、清志郎は歌い出している。

女の子の声だった。びっくりした、ドキドキした、嬉しかったし突っ伏してそれはそれは気持ち悪い感じににやにやしていた。

 

世界が繋がった気がしたけど、相変わらず僕は突っ伏したままで、その後も突っ伏したままだった。

 

誰もみていないような文章を書くとき。

清志郎の声を聴くとき。

 

今でも思い出す、繋がった気がした瞬間。

 

へへ、甘酸っぱかったな。